2008年5月19日 (月)

目指すは大技!!――スキー部(モーグル)の鈴木さん

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 フリースタイルスキーのモーグル競技で、スキー部の鈴木潮美さん(法3)が、4月5・6日に新潟県で開催された「第6回松之山温泉国体メモリアルモーグル競技会」(全日本スキー連盟公認大会)で自己最高の4位入賞を飾りました。1月にも「第5回千葉県松之山温泉モーグル競技会」(同)で1戦目を6位、2戦目を7位入賞など、好成績が続いています。いずれも国内B級の大会ですが、これらの大会でポイントが稼げれば、A級大会(全日本スキー連盟登録者上位30名以内)への出場も見えてきます。

 家族の影響で物心がつく頃にはスキーをしていましたが、本気でモーグルを始めたのは高校から。地元クラブに所属し、モーグルの楽しさ、厳しさを実感しました。しばらくスキーを離れたこともありましたが、今はジムでの筋力トレーニングやランニングでの体力づくりなど、レベルアップに余念がありません。

 採点競技であるモーグルは、ターン、エア、タイムの点数で競われます。中でも鈴木さんが最も力を入れているのは、観客の注目度も高い「エア」。両足を横に広げる「コザック」などを得意とするほか、回転とひねりをかけあわせるため高難易度に設定されている「コークスクリュー720」にも挑戦中です。危険な技だけに、怪我に泣くこともあります。ひざや腰にトラブルは耐えず、大会で結果が出ない時には落ち込むことも。しかし「結果は後からついてくればいい、やりたい技に挑戦したい」と、今日も果敢に挑戦します。最近ではエアそのものを競う「ビッグエア」にも興味を持っているのだとか。

 モーグルを始めた頃からエアが好きだった、という鈴木さんは「高さのある大きなエアが飛べるようになりたい」と目を輝かせます。A級、ビッグエアという目標に向け、大きく空に舞う彼女に期待大です。

【写真(左)=鈴木潮美さん】
【写真(中)=コークスクリューを練習する鈴木さん】
【写真(右)=猛スピードで滑り降りる鈴木さん】

5月 19, 2008 スキー部 | | コメント (0)

2007年3月29日 (木)

冬季スポーツでスキー部が活躍中

3月25日に福島県・檜枝岐村で開催された「第31回朝日杯檜枝岐村スラローム大会」の成年男子1部(30歳まで)で、阿部秀哉君(国際関係、新2年)が2位を飾りました。

3月17日から23日まで長野県・白馬村で開催された「全国学生岩岳大会アルペン競技の部」回転の部で、前川可奈さん(経済、新4年)が8位の成績をおさめました。

3月 29, 2007 スキー部 |

2007年3月 2日 (金)

力をあわせ6つの金メダル――経済学部の河野秀彰君

Suking_kawano2人3脚で勝ち取った6つの金――2月に開催された「2007ジャパンパラリンピックスキー競技大会」(於:長野県八方尾根スキー場)で、スキー部の河野秀彰君(経済4)が田中千章選手の前伴走を務め、スーパー大回転、大回転、回転の3種目で、金メダルの獲得に貢献しました。この成績が評価され、同ペアは「2007 IPC カンウォンランド大陸間カップアルペンスキー大会」(2月12日~15日、韓国、10か国が参加)に日本代表選手として出場し、スーパー大回転、大回転、回転で再び殊勲の金メダルに輝きました。

 同ペアが初めてタッグを組んだのは2年前。「2005ジャパンパラリンピックスキー競技大会」のスーパー大回転、大回転、回転に出場し、金、銀、胴メダルの成績を飾りました。視覚障害を持つ田中選手は、ガイドとして前を走る河野君の「次、まわります」などの声を頼りに、3種目の競技に臨みました。その時、田中さんから「日本一のガイドだ」と褒められ、涙が出るほどうれしかったとコメントした河野君。

 しかし同大会後、河野君自身が競技者として臨んだカナダ遠征で、樹木に激突。右大腿骨を粉砕骨折する大怪我を負いました。入院生活を余儀なくされ、退院してからも1年以上にわたり競技を離れなければなりませんでした。「怪我をした当初は、“終わった”と思いました。慣れない車椅子に乗りながら、“これは試練で、何かを学ぶ時なんだ”と自分を励ます毎日でした」と当時を振り返ります。

 今回の前伴走は、まだ怪我が治りきらない状態で務めました。「以前の大会の後も、田中さんとはおつきあいがあったんです。田中さんから今回の話が来たとき、2つ返事で“やります”と答えました。体は万全の状態ではなかったんですが、“何か自分ができることがあれば、挑戦したい”という気持ちが強かったんです」と河野君。挑戦のすえ、前伴走として、金メダル6つに献身しました。「田中さんは大会最年長の60歳で、金メダル。そしていつも前向きで元気なんです。そういうところに、負けてられないと刺激を受ける。だから、僕もチャレンジ精神で頑張ってますよ」。

 持ち前のチャレンジ精神で、河野君は自身の競技復帰も果たしています。今年1月の、夜間瀬(長野県)でのレース。ブランクで選手としてのポイントが無効となっていたため、成績順で決まる出走順は、251番でのスタートでした。河野君の前に出走した250人の選手の分だけ、バーンも荒れていました。でも、「やってやる」それだけを思ったと河野君。太ももにボルトが入った状態ながら渾身の力で雪原を滑り降り、見事1位に輝きました。

 この春、卒業を迎え、4月からは競技者生活を離れる河野君ですが、障害者スキーへの協力は続けていきたいと言います。その熱意の元はどこにあるのでしょうか。

 「僕自身、怪我をして競技を離れた分、少しだけだけれども彼らのことが分かる気がするということもあります。それ以上に魅力を感じるのは、障害者スキーの世界では、競技者も、サポーターも、大会運営者側も、人間同士のつながりがとても温かいところです。初めて障害者スキーの大会に協力した時、皆がねぎらいの声をかけあったり、スキー板を運ぶのをそれとなく手伝ったり、参加者全員が自然と助け合っていて、とても驚いたんですよ。競技者として個人のタイムを競う大会では、僕自身を含めどの選手もピリピリしていましたから。僕は、彼らの温かさに惹かれるんです」(河野君)

 田中選手との出会いで芽生え、自身の怪我の経験でより強くなった「障害者とスキー」への熱意。河野君は、現在でも、障害者に対してスキー競技への誘い、また伴走者の募集活動も行っています。「アルペンの魅力はやはり高速で滑り降りる高揚感。このおもしろさを、みなさんにも経験していただきたい。まずはポールを設置する資格を取得して、障害者スキー合宿なども開きたいと思っています。将来的には、海外で障害者スキーのコーチスキルを磨きたいです」と目を輝かせました。

 田中選手との合言葉は“2010、バンクーバー”。2人3脚での夢は、これからも続いてゆきます。

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【写真】田中選手とのペアとしては3月4日、自身としては3月17日、18日にレースを控える河野君。
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3月 2, 2007 スキー部 |

2007年2月 6日 (火)

ジャパンパラリンピックの前伴走として金メダルに貢献

2007年ジャパンパラリンピック(於:白馬八方尾根オリンピックコース)のスーパー大回転、大回転、回転の競技で、スキー部所属の河野秀彰君(経済4)が選手の前伴走者を務め、3種目とも金メダルの成績に貢献しました。

2月 6, 2007 スキー部 |